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札幌地方裁判所 昭和49年(ワ)3033号 判決

昭和四九年(ワ)第三〇三三号、

同五〇年(ワ)第九四六号事件原告

吉村松雄

外三名

右原告ら訴訟代理人

熊本典道

昭和四九年(ワ)第三〇三三号事件被告

有限会社田中牧場

右代表者

田中ふさ枝

右訴訟代理人

名川保男

外三名

昭和五〇年(ワ)第九四六号事件被告

北海道

右代表者

堂垣内尚弘

右訴訟代理人

山根喬

右指定代理人

国沢勲

外七名

主文

一、被告有限会社田中牧場は、原告吉村松雄、同吉村道子に対し、各、金一五、五四七、五二三円、および、これに対する昭和四九年一月一六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を各支払え。

二、被告北海道は、被告有限会社田中牧場と連帯して、原告吉村松雄、同吉村道子に対し、各、金一二、四三八、〇一八円、および、これに対する昭和五〇年九月二〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を各支払え。

三、原告吉村松雄、同吉村道子の被告有限会社田中牧場、同北海道に対するその余の請求、および、原告吉村正博、同吉村博文の右被告らに対する各請求をいずれも棄却する。

四、訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その余を被告らの各負担とする。

五、この判決は第一、二項に限り、その被告らに対し、それぞれ仮に執行することができる。ただし、被告北海道は、原告吉村松雄、同吉村道子に対し、各、金五、〇〇〇、〇〇〇円ずつの担保を供すれば、その原告による右仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者双方の申立

一、原告ら

(昭和四九年(ワ)第三〇三三号事件)

「被告有限会社田中牧場は、原告吉村松雄、同吉村道子に対し各金三四、三五四、七一五円、原告吉村正博、同吉村博文に対し、各金五〇〇、〇〇〇円および、右各金員に対する昭和四九年一月一六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を各支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決、ならびに、仮執行の宣言。

(昭和五〇年(ワ)第九四六号事件)

「被告北海道は、原告吉村松雄、同吉村道子に対し、各金三四、三五四、七一五円、原告吉村正博、同吉村博文に対し、各金五〇〇、〇〇〇円、および、各金員に対する昭和五〇年九月二〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決、ならびに、仮執行の宣言

二、被告ら

(昭和四九年(ワ)第三〇三三号事件被告有限会社田中牧場)

「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

(昭和五〇年(ワ)第九四六号事件被告北海道)

「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決、ならびに、担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二  当事者双方の主張

一、請求原因

(一)  (当事者)

原告吉村松雄(以下、原告松雄という。)は訴外亡吉村忠雄(以下、亡忠雄という。)の父、原告吉村道子(以下、原告道子という。)亡忠雄の母、原告吉村正博(以下、原告正博という。)、同吉村博文(以下、原告博文という。)は亡忠雄の兄であり、亡忠雄は、後記交通事故発生当時、福岡大学医学部医学進学課程に在学中の者であつた。

(二)  (事故の発生)

亡忠雄は、次の交通事故によつて死亡した。

1 発生日時  昭和四八年七月一五日午前一一時四五分ころ

2 発生場所  北海道浦河郡浦河町字上杵臼九四九番地付近の道道六八九号線路上(浦河大樹線、以下、本件道路という。)

3 事故車  普通貨物自動車(室一一す一四九八号、以下本件事故車という)

右運転者  訴外宇野良雄(以下、訴外宇野という。)

4 事故の態様

亡忠雄は、他の三名の者とともに、右宇野の運転する本件事故車の荷台に同乗して、本件道路を大樹方面(東方)から国道二三六号線方面(西方)に向けて走行中、右発生地付近において、右事故車が対面進行してきた訴外桜岡幸助運転の軽四輪乗用車(八青い―八三八号)とすれ違う際右宇野において、一時停止して同車の通過を待つか、または道路左側端との間隔に注意して最徐行し自車を路外に逸脱させないよう安全を確認しつつ進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、漫然左側に寄りながら、時速約四〇キロメートルをわずかに減速したのみで進行して、同車とすれ違つた過失により、自車左前車輪を別紙図面記載の二股分岐点先の道路西側の路肩から踏み外させ、その結果、右事故車を約7.4メートル下の低地に転落させ、そのため、亡忠雄は、乗つていた荷台から放り出されて右事故車の下敷きとなり、左側頸部裂傷の傷害を負い、間もなく右傷害に基づく出血により死亡した。〈以下、事実略〉

理由

一請求原因(一)の事実、および、同(二)の事実のうち、亡忠雄が、昭和四八年七月一五日午前一一時四五分ころ、訴外宇野運転の本件事故車の荷台に同乗して走行中、同車が本件道路の浦河郡浦河町字上杵臼九四九番地付近において、右道路南側斜面を、道路面から7.4メートルの下の河原まで転落したため、同車の下敷きになり、その結果、左側頸部裂傷の傷害を負い、間もなく右傷害に基づく出血により死亡したことは、当事者間に争いがない。

二本件道路の状況

当事者間に争いのない事実、および、〈証拠〉を総合すると、本件事故当時の本件道路の状況については次の事実を認めることができる。すなわち、本件道路は、昭和四五年八月二二日、北海道告示第二一二五号をもつて路線認定された浦河郡浦河町と広尾郡大樹町とを結ぶ全長73.3キロメートルの未舗装道路(路線名は浦河大樹線。)であるが、当時、大樹町どまりの不通過道路であつたため、主に地元住民の利用するところであり、また本件事故発生地点から大樹町方面には五、六戸の家が散在するにすぎなかつたため、本件事故発生地付近の交通量は、一日について、通行車五〇ないし六〇台程度であつたこと、本件事故当時における同発生地付近の状況は、別紙図面記載のとおりで、有効幅員は3.8メートル(全幅員4.0メートル)と、その東方に比して狭くなり同図面①点から②点までの間は深さ七ないし八メートルの沢に土管を埋め、約24.5メートルにわたり、その上に砂利、砂混じりの軟弱な土を盛つて作られたものであつたため、道路の両脇は三〇度勾配の斜面となり、また土質は軟弱であり、歩・車道の区別もなく、かつ車道部分と路肩部分との区別も明確になつていなかつたこと、本件事故発生地点付近における道路の断面は、中央部にバラスが高くなり、その南北にわだちの窪みがあつて道路中央より低いが(その差約一五ないし二〇センチメートル)、右窪みの両側は高くなり雑草を生育させて両斜面につながつていること、右道路の南端から沢へ下る南側斜面一帯には、高さ五〇ないし八〇センチメートルのすげ、むらさきつめ草等の雑草類が繁茂し、草のはえていない道路面の幅員は約3.65メートル程度となり、又、法面部分には、蕗等の雑草が、路肩部分のものと同程度の高さで、沢まで続いて繁つていたため、右①から②までの部分については、路肩部分と道路外の法面との識別も容易でなく、道路幅が実際より広く見えるような状態であつたこと、別紙図面の二股分岐点から東側道路の南側は、右道路とほぼ同じ高さの平坦地となり、雑草の生えている部分からさらにその外側は林となり、大樹方面から右二股分岐点の東方約五メートル位まで続いていたが、道路北側には平坦地はなく道路から盛上つた斜面となり、同所の林は二股分岐点北側あたりから極端に道路北側の路肩に接近してこれが右沢の北側斜面まで続いていたこと、本件事故発生地の西側については、道路の両側とも右道路面とほぼ同じ高さの広い平坦地となり、道路南側の平坦地には本件道路に面して鎌田牧場の二棟の建物が建つていたほか、右道路両側には電柱が立ち並び、道路および右電柱が、事故発生地西方の山の麓へと続き消えているように見えること、事故現場付近がこのような状況のため、地元住民のように本件事故発生地付近を度々通行している者は格別、はじめて同個所を通行する者など同地に不案内な者にとつては、夏場自動車を運転して本件道路を二股分岐点の東方から西進してきた場合、前記①から②の部分の道路左側端、および、その南側部分は、その東方の平坦地と同様の地形で連続した平坦地であると見誤り易く、同所が前示のように相当の勾配の斜面となつて沢に至つていることを、右二股分岐点に達する以前に的確に認識することは著しく困難であつたとみられること、本件事故発生地の東方、西方とも約三〇〇メートルの間はほぼ直線道路で、この間の見通しはよく、右道路には、別紙図面①の北側に、学校ありとの警戒標識がある以外、特別の標識が存在しなかつたこと、以上の事実が認められ、証人田中健三、同佐藤正の各証言のうち、右認定に反する部分は信用し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

三被告会社の責任について

被告会社が、本件事故車を所有して業務用に使用し、自己のため運行の用に供していたことは、原告と被告会社の間に争いがない。

そこで、被告会社の自賠法第三条但書による免責の主張について以下検討する。

〈証拠〉を総合すると次の事実を認めることができ、右認定に反する証人宇野良雄の供述部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。すなわち、右宇野は、昭和四八年七月一三日から、被告会社牧場において、アルバイト学生として牧草採取の作業に従事し、その翌日から自動車の運転に関与するに至つていたところ、同月一五日午前一一時四五分ころ、その牧草地から、本件事故車(四トン車、運転者が座席についた場合の目の高さは約1.94メートル)を運転し、本件道路上を東方から本件事故発生地に向け約四五キロメートル毎時の速度で走行を継続中、前示二股分岐点東方約一〇〇メートル付近に至つた際、前方約一七〇メートルの地点に櫻岡幸助運転の軽四輪自動車が対向してくるのを認めたので約四〇キロメートル毎時の速度に減じて進行し、ついで別紙図面記載①地点から約二六メートル東方でハンドルをやや左に切り、路肩部分を走行しなくても対向できると考えたが速度を落しながら、右①地点から約2.7メートル東方の地点で、右対向車と交差した直後、右①地点付近で左前車輪を道路左側路肩部分に乗り上げ、本件事故車の重量等により沢方向へずり落ちながらその平衡を失い、右事故車を道路外に逸脱させ、道路南側の法面を約二〇メートルほど斜めに走行した後、これを南側斜面上で一回転したうえ、別紙図面の地点に横転させるに至つたこと、右宇野は、本件事故発生の前日少し雨が降つたことがあり、又、本件事故発生個所付近に深い沢のあることは認識していなかつたが、右道路周辺がそれより若干低くなつていることを走行中すでに認識していたことが認められる。ところで、前示のとおり、本件事故発生地付近の道路の有効幅員は3.8メートルであり、本件事故車の車幅が2.1メートル、対向車の車幅が1.40メートルであつたから、右の両車が走行状態のまま交差しようとすれば、車輛間の接触の危険があり、従つて、これをさけるためには路肩部分の走行を余儀なくされ、さらには道路外に車輪を逸脱させるおそれがあるうえ、前示のように、本件事故現場付近の道路左側端と路外には雑草が繁茂し、路肩と路外の識別が困難な状況にあつたのであるから、自動車運転者としては、本件事故現場付近において、道路南側が少くとも低くなつている事実を知つていた以上、直ちに一時停止して対向車の通過を待つ挙に出るか、または道路左側端との間隔に注意して最徐行し、事故車を路外に逸脱させないようにするべき注意義務があることは明らかであるが、訴外宇野は、これを怠り、対向車との間隔を保つことに気をとられて路肩の状況について意を用いず、進行方向左側に寄りながらわずかに減速しただけで進行しようとしたため、沢に転落する本件事故を惹起したものであり、右宇野について、本件事故車の走行上過失のあることは明白である。

してみると、その余の点について判断するまでもなく、被告会社の免責の主張は理由がなく、同会社は、本件事故車の運行供用者として、本件事故に基づく損害を賠償すべき義務がある。

四被告北海道の責任について

前示のとおり、本件事故は、右宇野ないしその対向車輛運転者櫻岡の運転上の大きな過失に基因するものとみられるところではあるが、右事故の発生するについては、以下に述べるように、本件道路の設置、管理に瑕疵があつたことも、その一因をなしているものというべきである。すなわち、前記のとおり、たしかに、本件事故発生地から大樹町方面にかけての人家は疎らであり、本件道路は、同町で行きどまりの不通過道路であつたため、交通量も少なく、主に地元住民の利用するところではあつたが、だからと言つて、道路が通常備えるべき安全性については、地元の住民にとつて安全か否かを基準とするものではなく、それが一般車両の通行の用に供されるものである以上、現地を熟知した地元住民ではなくても、一般に安全に通行できるものでなければならないというべきである。然るに、本件事故発生地付近の道路の状況は、前記二に詳述したとおりであり、同地を熟知した地元の者でないと、同所に東方からさしかかつた場合、道路外に沢が存在することを認識することは著しく困難であり、該道路南側の路外は、その東方と同じく接続した平坦地と誤認し易く、かつ、路肩と路外の識別も困難であり、しかも、同所付近の道路は、有効幅員3.8メートルと狭隘化していたので、たまたま同所付近で対向車と交差する状況になつたときには、同所両側に深い沢があり、道路が狭くなつていることを認識していないと、対向車との接触を避けるためつい、路肩や道路外にはみ出しやすい状況であつたと認められ、従つて、もし、訴外宇野が事前に、同所に沢のあることを確実に認識することができたならば、同人は、本件事故車を沢に転落させないよう十分留意して一時停止、或いは、最徐行をし、その結果本件事故の発生を防止し得たであろうことは容易に推認できるところである。そうだとすれば、本件道路については、道路標識等により事前に沢の存在ないし道路の狭隘であることを認識できるような何らかの措置がとられていれば格別、そうでない限り(被告北海道においてかかる措置をとらなかつたことは原告と被告北海道との間で争いがない。)、その設置又は管理に瑕疵があつたものといわざるを得ない。

よつて、本件道路の管理者である被告道は国家賠償法第二条により本件事故に基づく損害を賠償すべき義務がある。

五損害

1  亡忠雄の逸失利益

イ  亡忠雄が本件事故当時福岡大学医学部医学進学課程に在学中であつたことは当事者間に争いがない。そうすると、亡忠雄は我国における学部への進学ならびに医師国家試験の実態からみて、本件事故がなければ、その後同大学医学部に進学し、昭和五四年四月(同人が二七才の時、死亡後六年目)には医師の免許を取得し、医業に従事しその後六七才まで四〇年間医師として稼働し得たものと推認できる。ところで、原告らは、亡忠雄は、医師の免許取得後五年間は他の病院に勤務し、一一年目ないし一三年目までは父原告松雄の経営する吉村病院に勤務し、一四年目以降は右吉村病院を父原告松雄から受け継ぐものと主張するが、後二者はいずれも将来において変動する可能性をのこす不確定な事実と言わざるをえず、とくに亡忠雄の兄である原告博文、同正博の両名はいずれも医師の資格を取得し、あるいは取得しうることが確実なものであるから(この点は、当事者間に争いがない)、亡忠雄において、吉村医院を受け継ぐことを前提にして逸失利益を算定することは相当ではない。そこで、亡忠雄の逸失利益については病院長、副院長、医科長以外の医師の平均給与を基礎として算定するのが相当と認められるところ、成立に争いのない甲第二〇号証によれば、右の医師の平均給与月額は金二三九、六五三円と認められ、右認定に反する証拠はない。そうすると、亡忠雄の逸失利益は右収入から生活費として四〇パーセントを控除し、ライプニツツ方式により中間利息を控除してその現価を算出すると、次のとおり金二二、〇九五、〇四八円となる。

算式 239,653×0.6×12×(17,880−5,075)=22,095,048

ロ  原告松雄、同道子は、亡忠雄の親であることは当事者間に争いがないから、右逸失利益を相続により各二分の一の金一一、〇四七、五二三円ずつ承継したことは明らかである。

2  原告らの慰藉料

イ  原告松雄、同道子について、

右原告らは亡忠雄の親であるから、本件事故に基づく亡忠雄の死亡により甚大な精神的苦痛を負つたものと認められ、本件事故の態様その他本件に顕われた諸般の事情を考慮すると、同原告らが被つた精神的苦痛に対する慰藉料は、各金三〇〇万円が相当であると認める。

ロ  原告正博、同博文について、

右原告らが、亡忠雄の兄であることは当事者間に争いがないが、本件全証拠によるも同原告らと亡忠雄との間に民法第七一一条掲記の直近の近親者におけると同程度の特別に緊密な関係があつたものと認めるに足りる証拠はないから、右原告らの固有の慰藉料請求は理由がないというべきである。

3  原告松雄、同道子の負担した弁護士費用

右原告らが、原告ら訴訟代理人に本件訴訟追行を委任し、かつ、右原告らが原告ら訴訟代理人に弁護士費用を負担する旨約したことは弁論の全趣旨により認められるが、本訴の認容額、訴訟追行の難易、審理期間等を考慮し、弁護士費用中、各金一五〇万円をもつて、本件事故と相当因果関係を有する損害と認める。

六過失相殺の主張について

(一)  被告会社は、亡忠雄には監督者である落合久吉の命に反し、同人に無断で、宇野運転の本件事故車に乗車し、かつ、最も危険な荷台の上に乗つた(道交法第五五条第三項違反の行為)過失があつたから、これらを斟酌すべきである旨主張する。亡忠雄が本件事故車の荷台に乗つていたことは当事者間に争いがないところ、〈証拠判断・証拠略〉亡忠雄らは、被告会社の経営する牧場の農事責任者であつた訴外落合久吉からその日の作業場所である牧草地に宇野の運転する本件事故車で行くように指示を受けたものであること、しかも、その際、右落合は、亡忠雄らが同車の荷台に乗つて行つたことを知りながら何ら注意せず、又、右作業場所から事務所に帰るために他の車を用意することもしなかつたから、結局亡忠雄は、来た時と同様に、本件事故車の荷台に同乗して帰らざるをえなかつたこと、それぞれが認められ、右認定に反する証人落合久吉、同古沢憲一の各供述部分は措信できない。そうすると、被告会社の主張は、使用者として亡忠雄らの労働の安全監督の義務を負つている被告会社が、同社の黙認していた亡忠雄の荷台同乗の事実をとらえて過失相殺の事由とすることになるが、このような主張は、信義則に反して許されないものというべきである。

(二)  被告北海道との関係においては、亡忠雄の荷台同乗は過失相殺の事由とするのが相当であり、その割合は、被告北海道八に対し、右亡忠雄二と認めるのが相当である。

七好意同乗者の主張について

右に述べたとおり、亡忠雄は、被告会社の仕事に従事するに際して本件事故車に同乗していたものであつてその前提を欠くから、亡忠雄が好意同乗者である旨の被告会社の主張は失当である。

八結論

以上のとおりであるから、結局、原告松雄、同道子に対し、被告会社は、各、以上合計金一五、五四七、五二三円、および、これに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四九年一月一六日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を、被告北海道は、各金一二、四三八、〇一八円、および、これに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五〇年九月二〇日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を(右被告北海道の賠償義務の限度で両被告は不真正連帯の関係に立つと解される。)それぞれ支払うべき義務があるものというべきである。

よつて、原告松雄、同道子の被告らに対する各本訴請求は、いずれも右の限度で理由があるのでこれらを正当として認容し、同原告らの被告らに対するその余の請求、および、原告正博、同博文の各請求はいずれも失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言、および、同免脱の宣言について、同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(稲垣喬 高橋勝男 増山宏)

表 年別計算結果

〈略〉

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